佐々木寛様送別会 2020/2/23
本日は39年4ヶ月に亘りとりねつの発展に寄与されてきた佐々木寛さんの送別会ということで、野々村幹事の案内により総勢31名が本日の会場CHOUCHOUに集結しました。
最初に馬田専務が開会のあいさつの中で、佐々木さんが入社された経緯や今日までの功績について紹介をされました。とりねつでは誰もが一目を置く“高周波の神様”として、また“とっとりマイスター”として佐々木さんにしかできない仕事をしてこられ、一見ニヒルで独特の世界観を持つ職人さんですが、一度話し始めるといつまでも終わらないお話し好きであることも皆が承知の通りだと語られました。
この後、高周波技術を引継いだ金田さんが苦労話を披露して「難しい先輩ではあったが、実は偉大な自分の恩師であったかも」と述べられたあと、金田さんの乾杯の音頭で宴がスタートしました。
佐々木さんにまつわる思い出話を野々村幹事に指名された人たちが順々に披露していきました。
先ず、急遽欠席となってしまった福江さんの手紙を田原さんが代読されました。福江さんは高周波に関する技術はすべて佐々木さんに指導していただき、ただ焼入れするだけではなくその“味付け”が大事であることを教わったことや、高周波制御盤内が火災になった時の佐々木さんの消火器を使う姿が勇ましかったことなどの思い出とともに感謝の気持ちが綴られていました。
田原さん自身からは、佐々木さんがプライベートで東京に行かれるといつも庶務係だけに「お前やちゃこげな高級な海苔は食べたことないだーがな」と言葉を添えてお土産があったことのカミングアウトがありました。更に「とりねつの女性陣の中に“さん”付けの人と呼び捨ての人がいるのは何故でしたか?」と佐々木さんに詰め寄る場面もあり会場の笑いを誘いました。
松本浩君からは、佐々木さんとの共通の趣味は野球観戦であり、よく野球の話をしていたが昨年ついに、一緒に東京ドームで巨人阪神戦を観戦したことが一番の思い出になったと語っていました。
小谷さんは、とりねつに草野球チームができたころ、いつも佐々木さんが球場の予約して対戦相手を探してくれるほど熱心であったことや、昼休憩に毎日、鉄工センターのグラウンドに出かけ皆で練習をしていたこと、センターの野球大会で(米子市で屈指の野球部を持つ)米子機工に勝ちかけた話を懐かしく語ってもらいました。その頃の佐々木さんのサードの守備の形態模写や入社当時に衝撃を受けた佐々木さんの浜弁の物まねをして会場を沸かせました。
竹谷さんからは、自分の趣味を聞かれたことをきっかけに佐々木さんもゴルフを始められることになり、ゴルフでもやはり熱心に毎日、ゴルフ練習場や“安倍山ゴルフコース”に通い、遂には湯原カントリークラブの会員になって自分たちも安いプレー代でラウンドできるようにしてもらったことなどを懐かしく語られました。そして一緒にラウンドしたときに佐々木さんがホールインワンをされて、その保険金100万円で食事会や記念コンペをしたことも紹介されました。
佐々木さんへのお礼として、馬田専務と細田親睦会長から餞別が、庶務係を代表して下村さんから「感謝」と書かれた箱入りの日本酒“獺祭”が、そして全職員を代表して佐伯さんから花束がそれぞれに言葉を添えて贈られました。
沢山のお別れの言葉や贈り物に対して、佐々木さんから「職人気質で口下手な自分でも皆さんに支えられて長く務めて来られた」ことの感謝や、厳しい時代になって来た今だからこそ「技術に磨きをかけてとりねつが更に発展することを祈る」とのメッセージ、そして今日の送別会に対するお礼の言葉を述べられました。
最後に生田工場長が、今まで佐々木さんに教わった沢山のことをQCサークル活動の思い出などとともに、感謝をしていることを伝えられ「佐々木さんのご健康をお祈りして」万歳三唱で会を締めくくりました。
この余韻は一階の「エンヤキッチン」で佐々木さんとのお別れを惜しみながらも、更に盛り上がっていきました。